台湾で活躍した岩手県人を聞く

いわて花巻空港から直行便でつながる岩手と台湾。台湾の人が親日であることは知られているが、その背景に岩手県人の活躍があることを知る人は少ない。そこで、一般財団法人新渡戸基金理事長の藤井茂氏に、台湾と岩手県人との関わりを聞いた。

―本日は台湾で活躍した岩手県人のお話をお聞きしたいと思います。 まず、台湾の日本統治時代のお話から教えていただけますか?

藤井茂氏(以下藤井)明治28年(1895)に、日清戦争が終わり、下関条約によって台湾が日本に譲渡されました。当時の台湾は、疫病やアヘンが蔓延しており、また、原住民との対立など、たくさんの問題を抱えていました。初代から3代目の総督までは、原住民を武力や命令によって制圧しようと躍起になっていたのですね。ところが、なかなかうまくいかないわけです。そこで、第4代総督・児玉源太郎のとき「このままではいかん」ということで、民政長官に任命されたのが、後藤新平だったのです。

―後藤新平はもともと医者でしたが、なぜ台湾に行ったのですか?

藤井 後藤新平は日清戦争後、医学的な見地から日本にコレラが蔓延するのを水際作戦で食い止めました。この功績が買われて内務省衛生局長に就任しました。 当時の台湾は、マラリアが蔓延していたので、水際作戦によってコレラを防いだ実績がある後藤新平に白羽の矢が立ったのでしょう。この、第4代総督・児玉源太郎と民政長官・後藤新平とのコンビが非常に良かったのです。後藤新平はこれまでのように現地の人と対立していては駄目だといい、政策を一変させました。アヘンの価格を上げて享楽的な生活をやめさせ、日本から医師を呼んで医療を整備し、マラリアを鎮めるといった、衝突しない方法で台湾を治めていったのです。すると、台湾の人たちは次第に「日本人が考えていることは、私たちにとっても悪くない話だぞ」と思うようになっていき、だんだん、彼らも日本のやり方を受け入れて働くようになり、産業も良くなっていきました。

―産業といえば、台湾の糖業には新渡戸稲造が大きく関わっていると聞きました。新渡戸稲造はどのようなことをしたのですか?

藤井 台湾の農業の開発のために、後藤新平が新渡戸稲造を呼んだのです。同郷だからとかそんな理由ではなく、新渡戸稲造という優秀な農学博士がいることを、後藤新平は知っていたのですね。当時、新渡戸はアメリカで療養しており、よくなったら札幌農学校に教授として戻るつもりでした。しかし、後藤新平の再三の要請に応じて、台湾に行くことにしました。

  • 台湾のサトウキビ種蒔作業の様子(奥州市後藤新平記念館)
  • 若者に人気のサトウキビジュース。今は輸入が多いそうだ。六合観光夜市にて。

 新渡戸稲造は台湾に着くと現地を視察し、サトウキビ畑を見ました。そうしたら、台湾のサトウキビはハワイの品種より細くて背が低いと気づいたのです。「もっとサトウキビを改良すれば、今より生産量が何倍にもなるだろう」。そう思って作成した新渡戸稲造の「糖業改良意見書」を後藤新平は国会に提出し、すぐにサトウキビの改良に取り掛かりました。
 そして彼がみいだした糖業の改革は、台湾の人々に受け入れられ見事に成功しました。新渡戸稲造は台湾では「台湾糖業の父」とよばれており、台湾の高雄市内にその偉業を讃えて銅像が建てられました。
 そして、それと同じ銅像が花巻の新渡戸記念館や盛岡市にも寄贈されました。

―同じ銅像が台湾と岩手にあるなんて、とても親近感が湧きますね。

藤井 そうですね。実は、後藤新平と新渡戸稲造のほかにも台湾に行って活躍した岩手県人がいるのですよ。

―後藤新平と新渡戸稲造のほかに、どんな人が活躍したのですか?

藤井 たくさんいますけどね(笑)。先人の背中を追うように続々と岩手県人が台湾に行っています。強いていうなら、伊能嘉矩、藤根吉春と三田定則でしょうか。
 遠野出身の伊能は『台湾文化志』を著し、台湾学のパイオニアとして有名です。
 藤根吉春は早くに台湾に渡っていますが、新渡戸稲造の下で現地の青年たちに農業教育を施しました。盛岡に帰ってからは盛岡農学校(現盛岡農業高校)の校長に就任しています。
 三田定則は、台北帝国大学に医学部を創立する際、大きく関わった人物です。台北帝国大学の医学部長となり、その翌年、台北帝国大学総長まで勤め、その後岩手医科大学の前身である岩手医学専門学校長にもなりました。そのような関係もあって、台湾から大勢の留学生が岩手医専に医学を学びに来ています。東京ではなく、岩手で医学を学びたいと―。

―それだけでも、三田定則の台湾での功績が伺えますね。話を聞いているうちに、岩手県と台湾はとても近いような気がしてきました。

藤井 台湾の若い人たちの中には、後藤新平や新渡戸稲造を知っている人は多いですね。毎年「盛岡さんさ」には花蓮市の団体が訪れていますし、台湾の人たちは岩手に親しみを持っていると思います。岩手の人はもっと台湾を身近に感じていいと思いますね。こうして、台湾で活躍した岩手の偉人を知ると、さらに旅の楽しみが深まると思います。

  • 『新渡戸稲造の至言』
    藤井茂・長本裕子 著(新渡戸基金)2,000円(税別)
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  • 藤井 茂
    昭和24年(1949)秋田県大館市生まれ。東京での会社勤務を経て盛岡へ。盛岡タイムス社勤務の後、一般財団法人新渡戸基金に務める。現在、理事長。著書に『新渡戸稲造の至言』(新渡戸基金)、近著に『一代の出版人 増田義一伝』(実業之日本社)がある。

    (取材協力)一般財団法人 新渡戸基金
    岩手県盛岡市菜園1-4-10第2産業会館6階
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